読書通信 2018年10月号

■ 天皇は皇居の奥深くでただ祈っていればいいと言う評論家がいる。なんと失礼な話だろう。天皇皇后は全道府県をすでに2巡し、36の諸国を訪問、沖縄11回、被災地は数え切れぬほど慰問している。離島も多い。その姿に国民はどれほど励まされ安らいだことか。だが旅の裏には多くの秘話があった。特に高齢の昨今では。
井上亮『象徴天皇の旅』平凡新書、972円)は天皇の旅に同行したベテラン記者による稀有の書。お二人の思いと祈り、迎えた人々の受け止め方、旅程や警備の問題点、形式主義批判などが明確に伝わってくる。人々に語りかける一言一句には心を打たれるし、厳しい日程をこなし続ける執念には驚かされる。被災地も沖縄もペリリュー島も、訪問の事実自体が天皇皇后によって日本人全体に突きつけられた問題なのだ。そう本書は問うているように思える。質量ともに読み応え十分の力作である。
■ 医者と向き合ったとき、その断定やら助言やらに対し納得か反発か、どちらが多いだろう。もっと強い薬にするか、手術にするか、もうそっとしておくか。迷うのは患者だけでなく家族も同様であるはずだ。大竹文雄・平井啓編著『医療現場の行動経済学』東洋経済新報社、2592円)は医師と看護師、患者とその家族にとってとても参考になる実践的な本である。
心理学をうまく使うことで医療関係者は効率よく患者と家族に合理的な意思決定を促すことができる、ということがよくわかる。こうした心理学を活かす過程が行動経済学そのものであり、本書は医療関係者と患者および家族の関係を考えながら、併せて行動経済学の基本と応用も学べるという、一石二鳥の優れた内容をもつ。がん治療、終末医療などが心配になり始めた人々にぴったりの書としてお勧めしたい。 続きを読む »

読書通信 2018年9月号

■ 自民党総裁選で旧宏池会系議員が音なしなのはいかにも残念なことだ。保守本流が消えかかっていると言ってもよい。持論だが中選挙区制であればこんなことはありえなかった。田中秀征『自民党本流と保守本流』講談社、1728円)は、岸信介を始祖とする潮流を自民党本流と規定する。リベラルな保守本流に対して、真逆の歴史観、経済観、憲法観を持ち続け、今、安倍首相へと行き着いている。
ただし本書では、岸にはかなり紙数が割かれはするものの、保守本流の源流である石橋湛山から田中角栄、宮沢喜一、橋本龍太郎、小渕恵三、細川護煕、加藤紘一まで保守本流の人たちの描写と本質論が中心で多くは絶品である。どのエピソードも面白く、歴史のイフが多々盛り込まれているのも興味深い。あるべき保守の姿が示され、日本の国のかたちにも言及していて、政治分野では昨今、屈指の良書と言える。
■ 経済倶楽部で講演をお願いしてほんとに良かったという経済学者は率直にいってそう多くはない。良質の講演を拝聴するのは司会者冥利に尽きる。神野直彦『経済学は悲しみを分かち合うために』(岩波書店、1944円)は講演のエッセンスをまた伺っている味わいである。半分は母から教えられた「おカネで買えないものを大切にする」「偉くならない」を守り続ける中での家族、同僚、師との温かい絆の自分史、半分は財政社会学を自ら確立する中で「人間のための経済学」を目指した学問的挑戦の論考だ。
2003年に著者が石橋湛山賞を受賞したときの故宇沢弘文氏のお祝いの辞が序章にまず出てくるが、こんな温かい、本質を突いた言葉を頂戴できる人は幸せである。そういえば宇沢先生も経済倶楽部で奔放な講演をされた。新自由主義批判が話の中核だった。とまれ経済学の現状を憂うる人には格好の書物であるだろう。 続きを読む »

読書通信 2018年8月号

■ 先の大戦で日本の経済学者たちは日米独の戦力をどのように分析し、それは開戦にどう影響したのだろうか。牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書、1404円)は、石橋湛山賞を受賞した『戦時下の経済学者』のいわば続編であるが、前作に劣らぬ力作であり、奥が深い。
人民戦線事件で検挙され保釈中の有沢広巳をはじめ、中山伊知郎、森田優三、宮川実、武村忠雄などそうそうたる経済学者たちが参加して研究したのが秋丸次朗主計中佐の主宰する秋丸機関だった。陸軍が日米の力の差をわきまえず無謀な戦争に突っ込んでいった、という俗説ほど実際は単純ではなかったらしい。学者たちは日米独の経済力をほぼ正確に分析して報告書にまとめているし、軍部の認識もそれと大差はなかった。ではなぜ開戦に至ったのか。有沢の戦後の証言がなぜ事実に反したのか。学者と軍人たちの動静は推理小説の趣さえあって、引き込まれる。戦後につながる部分も面白い。
■ 文科省の役人たちが官邸の意向を忖度しすぎたことが加計学園問題の本質であるのだろうが、それは一朝一夕に生まれた体質ではなかった。前川喜平『面従腹背』(毎日新聞出版、1404円)は時節柄のキワモノではまったくない。教育の本質をしっかりと見詰め、個人の尊厳と国の未来を確かなものとするために何が求められているかを、明確無比に語っている。
教員免許更新制、国歌・国旗の指導、教科書採択問題、教育基本法改正、道徳の教科化など、著者のかかわった文部行政への思いや面従腹背の真意が語られる。個の確立へ向けて真摯に対応する著者の苦渋の選択にはほとんど納得がいく。加計学園をめぐる鼎談が説得力をもつのも著者の半生史を読んでの上だからだろう。 続きを読む »

読書通信 2018年7月号

■ 東京西部の五日市町(現あきる野市)の土蔵から明治期の古文書が発見されてからちょうど50年が経った。今、それは「五日市憲法」と呼ばれ注目が集まっている。新井勝紘『五日市憲法』岩波新書、885円)は発見のいきさつ、起草者の千葉卓三郎の足どり、五日市という町、そして文書が埋もれていく過程まで、発見者であり研究者である著者ならではの生き生きとした筆致による貴重な記録である。
明治の初め、市井の人々が議論を重ねて憲法草案を起草したエネルギーには圧倒される。昨今のいかにも軽々しい憲法改正案の文言と比べるとき、権力と国民との関係を徹底的に論じ、理想の国のあり方を追求した真摯な姿勢から学ぶものは多い。「五日市憲法」の条文を読むと現憲法よりも優れていると思われる個所さえ散見されるなど、おおいに感服させられた。
■ 薪を背負って歩きながら本を読む二宮金次郎の像(戦後も校門脇にあった)はいまだに印象深い。小澤祥司『二宮金次郎とは何だったのか』西日本出版社、1944円)は二宮尊徳の生涯と後継者たちによる報徳運動継承の努力を前半、地方改良運動のシンボルとして利用された戦中の「臣民の手本」としての尊徳を後半に構成されている。報徳運動の実際と、戦時下、国民に虚像が刷り込まれたことに加え、戦後、GHQ右派が逆に尊徳を民主主義者として利用しようとした話も興味深い。そして今、道徳教科書に尊徳の虚像が再び登場し始めている。 続きを読む »

読書通信 2018年6月号

■ 国体とは何か。戦前戦中なら天皇が統治する国柄または国民が天皇のために死ねる君主制というようなことだったろう。白井聡『国体論 菊と星条旗』集英社新書、1015円)の厳しい視線は戦後の「国体」に向けられる。つまり占領体制下の日米関係がその後60年以上も日本に定着し、世界にまれな「非独立国」であり続けているという指摘である。日米安保や日米地位協定のような対米従属の構図、トモダチ作戦や思いやり予算などの情緒的用語が戦後の国体を形成し、それが日本の行き詰まり状況を一貫して説明しうる最有力の概念だ、というのが著者の言い分である。石橋湛山賞受賞の『永続敗戦論-戦後日本の核心』をさらに展開させていて極めて論争的だ。戦後の国体へのアンチテーゼとしての平成天皇のおことばが高く評価されている。
■ 世はAIブーム。AIにできないことはないかのようだ。でも事はそう単純ではない。新井紀子『AI教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社、1620円)はとても刺激的で人につい話したくなる本である。「東ロボくん」こと東大入試に受かるためのAI開発の責任者である著者だからこそわかったAIの決定的弱点から、AIが人間を超える日は絶対にやってこないこと、そして肝心の小中高生の文章を読む力がスマホ漬けのおかげもあって驚くほど崩壊していることが明らかにされる。これほどの一大事はない。明快かつ説得的な内容で、子も親も祖父母も必読の一冊である。 続きを読む »

読書通信 2018年5月号

■ とっくに本欄で紹介したつもりでいたが、そうでなかったことに気づいて書棚から引っ張り出した。これは絶対に見逃せない本だと思うので、今からでもぜひお読みいただければと。旗手啓介『告白』講談社、1944円)は読む者をカンボジアPKOの混乱の現場へと誘い込むのみならず、謎解きの面白さも味わえる。昨今、屈指のドキュメンタリーだろう。PKO(国連平和維持活動)で派遣された日本の文民警察は文民の名のとおり丸腰だった。政府として死傷者だけは避けたかった自衛隊は南部の安全地帯へ、対して警官は危険な北部のポルポト派支配地域などへ派遣される。案の定、高田警部補が銃撃に遭い死亡、重軽傷者も出た。だが時の宮澤政権はこれを単なる事故扱いとし、同僚警官には滞在時はおろか帰国後も一切の発言、記録執筆を禁じる。欧州各国は分厚い報告書を作成して国民に明らかにしたというのに、日本はひたすら隠蔽した。23年後の取材でようやく当事者や外国人に重い口を開かせた「NHKスペシャル」は数々の賞を受賞したが、著者はそのディレクター。PKOとは、権力の説明責任とは。多くを考えさせられる。
■ 中高生のスマホ普及率は7割以上だとか。川島隆太『スマホが学力を破壊する』集英社新書、799円)は親子必読で、スマホをやればやるほど学力低下が歴然の怖いデータが山盛りである。破壊的影響が明白なのは数学と理科。自宅学習中に音楽・ゲーム・動画・LINEを併せて行うマルチタスクは最悪で、いくら勉強しても少しも頭に入らない。スマホと脳の話も専門家ならでは。大いに納得がいく。スマホは亡国の玉手箱であり、人口減少などよりはるかに恐ろしいことに気づくべきだ。それも早いほどいい。大人の脳に関する言及も見逃せない。 続きを読む »

読書通信 2018年4月号

■ 米国で大ベストセラーになったマイケル・ウォルフ『炎と怒り』早川書房、1944円)が邦訳されて1カ月経った。これは日本でも大いに読まれるべき本だ。とにかく大した取材力である。トランプの寝室にはテレビが3台ある、あの奇妙な髪型は禿を隠すためだ、などというのはどうでもいいことだが、ここまで知っているならその他の情報も正しそうだと読者は信頼するだろう(主要な情報源の一つはバノンらしい)。政権内部がこれほどハチャメチャというのも、要するにトランプ当選を本人、夫人、娘、側近まで誰も信じていなかったからだという。
主要な政権関係者22人のうちすでに13人が辞め、2人が解任間近らしい。世界地図も医療の仕組みもほとんど知らず、本もまともに読んだことがないという大統領が核問題や移民、医療行政の鍵を握っているとは。こんな人とその娘夫婦(ジャーヴァンカと本書は呼ぶ)に支配される国って大丈夫か、改めて考えさせられた。
■ 『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』はどちらも傑作だったが、後者が原田伊織『続・明治維新という過ち 列強の侵略を防いだ幕臣たち』(講談社文庫、702円)として文庫化された。薩長が開国を果たし封建制に終止符を打ったというのは薩長史観の俗説であり、幕府には列強の無謀な要求に理路整然と論駁して日本の権益を守ろうとした幕臣官僚たちがいた。岩瀬忠震、水野忠則、川路聖謨らである。これに対し、著者によれば西郷や龍馬の実像は惨憺たるものであった。維新百年などという前に本書をじっくり読まれることをお勧めする。
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読書通信 2018年3月号

■ リベラル=革新であるかの意見が多いのはかねて心外だった。実際、自民党にも昔は多くの良質なリベラル政治家がいたではないか。今回、「本来の」保守こそリベラルだと堂々の論陣を張っているのが中島岳志『保守と立憲』スタンド・ブックス、1944円)である。
保守とは人間の能力の不完全さに深く思いを致し、反対意見にも十全に耳を傾ける謙虚さを持つ。全能でないがゆえに、革命(左右にかかわらず)には否定的で改革も常に漸進的である。そしてデモクラシーの重要な点は死者の声に耳を澄ますことだとする。憲法について言えば先人たちの格闘と経験(つまり死者の声である)を教訓として受け止めながら漸進的に改善を進めることだ。安倍首相のような改憲論はこれと真逆の行き方だと全面的に否定している。
著者はこのように保守を規定したうえで、「弱い敵と共存する決意」(オルテガ)すなわち寛容にこそリベラルの本質を見出す。保守、リベラル、立憲主義、改革、自立など、今の時代に考えなければならないテーマにあふれていて、一読、多くを学んだ。貴重な良書である。

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読書通信 2018年2月号

■ 安倍首相が憲法改正でクセ球を投げたことに護憲派はどう対応すべきだろうか。戦力不保持や交戦権の否認を規定した9条2項を削除するという従来の主張は取り下げ、単に自衛隊を付記することで自衛隊を日陰の身から救い出そうというだけのことだと安倍首相に言われれば、反対はしにくい。であれば、改憲論議はすっかり自民党ペースになる可能性がある。
 松竹伸幸『改憲的護憲論』(集英社新書、799円)は、改憲を認める形で自民党案に対峙しようとするユニークな憲法擁護論である。災害救援と専守防衛の自衛隊という現実に立ち、護憲派は守勢一方から抜け出すべきだ、として、平和憲法の精神を尊重しながら現実に即していこうとする著者の問題意識は斬新である。「共産党は憲法・防衛論の矛盾を克服できるか」と題する一章は流し読みしてしまったが、全体を通じて著者の危機感がひしひしと感じられた。
■ 代わって少し柔らかい本を。といってもテーマは重い。老老介護の実録本、阿井渉介『愛と憎しみ 奇跡の老老介護』(講談社、1620円)は、71歳の息子と100歳の母親の物語だ。痴呆が進む寝たきり母親の下の世話までする息子は、最初こそ腹立たしい壮絶な毎日に明け暮れるが、ある日、心を入れ替え発想を変えての親孝行に転じてみると、風景が一変。親子のとんちんかんな会話がむしろ楽しくなってくる。
シナリオライターである著者の筆は冴えわたり、深刻な話がすっかりユーモア小説の趣に一変。自分にはこんな介護ができるだろうかと思ってしまった。書名と異なり、憎しみどころか愛情あふれる介護日記として多くを学ぶことができる。親子に限らない。夫婦の老老介護にも大いに参考になるはずである。 続きを読む »

読書通信 2018年1月号

■ 恒例により昨年1~12月号で紹介した47冊の中からベストテンを。ジャンルが偏らぬよう心掛けた点と面白さを優先した点をお断りしたい(順不同、数字は月号)。永野健二『バブル』①、瀬木比呂志『黒い巨塔 最高裁判所』①、吉田敏浩『日米合同委員会の研究』②、水島治郎『ポピュリズムとは何か』③、竹内早希子『奇跡の醤』③、植松三十里『雪積もりし朝』④、前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』⑧、孫崎亨『日米開戦へのスパイ』⑨、坂野潤治『帝国と立憲』⑩、奥野修司・徳山大樹『怖い中国食品・不気味なアメリカ食品』⑪。ほかに文学では門井慶喜『銀河鉄道の父』⑫、話題性では青木理『安倍三代』③も捨てがたい。
■ 加計事件は役人の忖度の問題にすぎずそろそろ幕引きか、という見方が増えているように感じる。しかし森功『悪だくみ』(文藝春秋、1728円)を読むと、これは根の深いスキャンダルだと思わざるをえない。掘り起こされていく事実に押され一気に読み終えた。安倍首相と加計理事長が「腹心の友」以上の友であるという圧倒的な証明に加え、下村博文・萩生田光一両氏と加計とのずぶずぶ感はすさまじい。さらに下村・加計・安倍各夫人たちの異常な親密さが事件と深くかかわっていることが明らかにされる点も重要だ。問題をうやむやにさせないためにも広く読まれるべき本と思う。 続きを読む »