読書通信2012年9月号

① 人文系の評論家が経済学者に質問する形でつくり上げた対談本、若田部昌澄・栗原裕一郎『本当の経済の話をしよう』ちくま新書、987円)は期待を裏切らなかった。二人がともに1965年生まれということもあって分野こそ違え息が合っていて、絶えず文章中に(笑)が現れるのも興味をつなぐ。そして経済学素人の(とはいえよく予習している)評論家が読者の立場に立った初歩的な質問を行うという定番もほぼ成功していて、しばしば鋭い切り口で石橋湛山賞受賞の経済学者から案外な知見を引き出してもいる。
 
内容は、①飴と鞭という「インセンティブ」に人は反応する、②「トレード・オフ」で世の中は成り立つ、③「トレード」という名の市場の功罪、④好況も不況も「マネー」次第、という四つの視点から経済学を解説していて明快だ。TPPも日本のデフレもEUの危機も説明に曖昧なところはまるでなく(なさすぎ)、持論の日銀批判はここでも歯に衣着せぬ一刀両断、切れ味鋭く日銀総裁に迫っている。経済成長が何より大切だという主張も説得的で、人によっては(特に学者によっては)異論も大いにあるだろうが、読後感は爽快である。貧困、格差、幸福度、行動経済学などを取り上げた終章も議論や考究の手掛かりとして刺激的で面白かった。時折の人文系への脱線もご愛嬌だ。

② 反原発、竹島・尖閣問題、消費増税と、日本の新聞論調も少し個性が出てきたようでご同慶の至りである。「産経」の嫌中韓は一貫しているが、「東京」の反原発は強烈だ。とはいえ、世界の標準からするとまだまだ似たような紙面が多すぎる。余談だが中国大使の車から日章旗が奪われた事件はどこも一面トップ級だったのに東京は二面ベタだった。これも見識だろうか。ともあれ、マーティン・ファクラー『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書、840円)では記者クラブによりかかって独自の取材を怠る日本の新聞が徹底的にやっつけられている。
 確かに中央紙5紙を読んでも似たような記事ばかりで面白さにまるで欠ける。著者はニューヨークタイムズ東京支局長で、大震災直後に被災地に入り込んだその行動力や志、アメリカのメディアの実情など、単なる日本の新聞批判に終わっておらず説得力十分である。「東京」の反原発紙面を賞賛し、地方紙や雑誌にメディアの可能性を見出し、何より『週刊東洋経済』の良質な調査報道を高く評価している(ところがいい)。

③ 片山杜秀『未完のファシズム』(新潮選書、1575円)はなかなか面白かった。軍部が何を考えて開戦から敗戦まで突っ走っていったのかについてはたくさんの書物があるが、本書は小畑敏四郎の壊滅戦思想と石原莞爾の世界最終戦争論を中心に軍人たちの戦争哲学を新たな視点から追究している。青島戦役が単なる精神論で進めた肉弾戦ではなく、物量戦としてとらえられていたという前提は重要であり、陸軍にやや偏ったところはあるが、なぜ「天皇陛下万歳」で死ねたのかという問題提起には腑に落ちる結論が示されていて読み応えがある。

④ 今年の江戸川乱歩賞作品は完成度が高い。高野史緒『カラマーゾフの妹』(講談社、1575円)はドストエフスキーの『兄弟』の「続編」という構成だが、基本的には原著に忠実でありながら、ある意味で原著を超えたミステリーとして見事に仕上がっている。原作を読んでいなくともなんの支障もなくドストエフスキーの世界に入っていけるのは嬉しい。謎解きも兄弟たちの精神の描写も練られた文章もすべて見事で、これを超える「続編」は当分出てこないだろう。