読書通信 2019年10月号

■ 愛国という言葉や行動ほど厄介なものはない。ヘイトスピーチも領土拡張もそうした旗のもとに展開される。ナショナリズムも怖い。イデオロギーよりナショナリズムこそ警戒せよと半世紀以上前に喝破したのは石橋湛山だった。
将棋面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』百万年書房、1848円)は永く海外から日本を見てきた著者が、国を愛する、国を誇りに思う、国のために尽くす、などさまざまな角度から論じている。特に「愛国」をナショナリズム的それと共和主義的それとに峻別することを提起しているのは重要である。前者は国の冷静な評価を怠り溺愛するが、後者は短所もきちんと見極める。そして群れる前者に対し、後者は一人でも立場を貫けるとする。至言だろう。ほかにも教えられることが多い。分量的にも、気軽に手に取れる貴重な一冊である。
■ 語り尽くされたはずの2・26事件だがまだまだ新たな切り口から書かれ続けるのだろう。文芸誌に連載された5つの短編からなる中路啓太『昭和天皇の声』文藝春秋、1760円)は、永田鉄山軍務局長を斬殺した相沢三郎中佐の話から始まる。2話は事件で射殺されたと信じられた岡田啓介総理の救出劇を軸とし、3話は鈴木貫太郎侍従長を身を挺して守った妻たか、とどめを刺さなかった安藤輝三大尉、その部下の三つ巴が主題で、ともに皇道派と統制派の対立がからむ。4話は田中清玄と怪僧玄峰が主役で、最後の話では昭和天皇が専制君主と立憲君主の狭間で苦悩する。どれも余韻十分で読後感のいい秀作だ。16年5月号本欄で取り上げた同じ著者の『ロンドン狂瀾』と併せて推薦したい。 続きを読む »

読書通信 2019年9月号

■ アンダークラス定着で日本も階級社会になったと喝破したのは橋本健二氏だが、中間層の消滅が日本のみならず世界を揺るがしていることを考えると、「階級」は固定的だと思わざるをえない。教育しだいで下の階級から上へ移動できるはずが、その教育がカネ次第とあってままならないのだから事は深刻である。
橘玲『上級国民/下級国民』小学館新書、885円)は、大卒・非大卒、壮年・若年、男・女の6グループに分類してそれぞれの感情、経済力、結婚などを調べている。すると非大卒男子には驚くほど冷酷な現実が待ち構えていることがわかった。経済力に乏しく女性にモテないので生涯独身の可能性が極めて高い。逆に大卒男子の一部は大いにモテて離婚―再婚を繰り返すので、非大卒男子の結婚機会を奪っていく。それほど単純かどうかは議論の余地があるだろうが、非大卒中心の引きこもりが500万人もいるかもと言われると、確かに深刻である。
日本社会の分断は現下の重大問題であり政治家や官僚にこそ読んでもらいたい本だが、どうやら庶民のほうが熱心に読んでいるようだ。欧米の混乱を理解するにも格好の書で、知的好奇心を大いに満足させてくれる。
■ ネット犯罪やネット炎上が増え続け、一方、ネット販売は拡大一途でこの先、本当に大丈夫なのだろうか。ジャロン・ラニアー『今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除すべき10の理由』亜紀書房、1944円)はソーシャルメディアの闇を徹底的に究明している。
ネット社会で個人情報を吸い上げアルゴリズムによって金儲けを図るIT企業が批判の対象である。特にフェイスブックとグーグルがアカウントの顧客の行動を本人の気づかぬうちに「修正」していくことが追及される。主体的に情報を得て自ら考えることが対応策として提示されていて、これはネットに限らず重要だと感じさせられた。ちょっと過激だが、怖い世の中で道を間違えないためには肝に銘じたい内容だ。 続きを読む »

読書通信 2019年8月号

■ 犯罪会計学と聞いてがぜん興味がわいた。確かに不祥事続出の折から深く探求すべき学問分野であるだろう。細野祐二『会計と犯罪』岩波書店、1944円)はキャッツ粉飾決算事件で有罪となった公認会計士つまり著者が、郵便不正事件における地検特捜部の立件の仕方を詳細に追究し、その矛盾を明らかにしていく。起訴した以上はなにがなんでも有罪へもっていこうとする検察の病理を解明して説得力十分だ。村木厚子氏(のち厚労省次官)は幸いにも無罪となったが、弘中惇一郎弁護士の手腕に加え、最大の勝因は起訴事実の全面否認にあった。日産ゴーン事件も取り上げていて、起訴が無理筋であることを力説し、今回も弘中弁護士がついていることの意味は大きいという。日本の検察には真実よりも自らのメンツと利益を重視する救いがたい組織第一の論理があるようだ。法曹に限らず広く読まれるべき力作である。
■ 国際協力機構は広く世界的に認められている。特に青年海外協力隊の働きはめざましい。北岡伸一『世界地図を読み直す』(新潮選書、1404円)は世界の国々の歴史的紹介や訪問記にとどまらず、そこでの日中米ロの立ち位置と意図が浮かび上がって参考になる。著者は東大教授の傍ら国連大使を務め、今はJICA理事長として世界を飛び回っている。行動する政治学者による地政学が面白くないはずがない。
フィンランド、ロシア、エジプトなど既知の国々では独特の視点が新鮮だし、アルメニア、ザンビア、コロンビア、南太平洋の島嶼国家などではこうした国とこそしっかり向き合っていくべきことを教えられる。各国に批判がましいことは言わず、統治者に対しては建設的な語り口がもっぱらで、これこそ外交だと納得した。 続きを読む »

読書通信 2019年7月号

■ 安倍一強は官邸パワーによって生まれた。といっても官邸に集められた官僚出の秘書官や官房副長官の言動に永田町や霞が関が引きずられているにすぎないのだが、もちろん忖度は着実に密度を高めている。森功『官邸官僚』文藝春秋、1728円)はその実相を、個人名を多数挙げながら俎上に乗せていく。
主役の今井尚哉(経産)は安倍首相の分身とも化身とも呼ばれて得意の絶頂にある。アベノミクスの成長戦略の柱とされた原発輸出を取り仕切ったが全敗に終わった。しかしそんなことにめげることなく外交にも首を突っ込んで谷内正太郎を激怒させるが、まるで馬耳東風という。ほかに和泉洋人(国交)や杉田和博(警察)も主役級であるが、官僚人事を一手に担当する内閣人事局も含め官邸がここまで強くなって大丈夫かと思わざるをえない。虎の威を借るキツネたちの物語。見逃せぬ一冊である(敬称略)。
■ まともに記者会見をしなくなったトランプ大統領もひどいが、日本も似たようなものだ。安倍首相も昨今、記者会見はほとんどしていないし(自分でしたいときは除く)、「全く~ない」を連発する菅官房長官も質問に真摯に答える気配がうかがえない。そして河野外相も。南彰『報道事変』朝日新書、853円)からは誠意に欠けた政治家たちの姿が浮かび上がる。しつこく食い下がった東京新聞の望月衣塑子記者の場合が典型だ。嫌がる官房長官の意を体した上村秀紀官邸報道室長が、質問している最中に10秒おきくらいに「簡潔にお願いします」と繰り返す。その速記録を見ると幼稚な嫌がらせとしか思えない。だがこれに危機感を覚える記者や新聞社が多ければまだしも、むしろ同記者を疎外しようという動きすらあるという。著者の危機感をメディアや読者が共有できるか、そのためには何が必要なのか考えさせられる。 続きを読む »

読書通信 2019年6月号

■ 世はキャッシュレス時代、ということで、日本が世界に取り残されつつあると心配する声も多い。だが何事も光と影がある。中国在住17年で現地の大学教授となった著者による、西村友作『キャッシュレス国家』文春新書、918円)は、中国のモバイル決済と新ビジネス、社会の裏側まで描いて貴重である。
買うのも、食べるのも、移動するにも、遊ぶにも、みんなネットを使いキャッシュレスで精算する。路上の物乞いでさえQRコードのスキャンで小銭を受け取る。おかげで銀行はリテイルではほとんどやることがない。ポイントも溜まり誰もが幸せに感じているらしいが、確かに効率も良くなった。だがデジタル格差は生まれ、個人情報は丸裸になっている。新たな犯罪も発生していて、さらに巧妙化するだろう。ほんとに、そんな社会は住みやすい世の中なのだろうか。キャッシュレス社会にやや好意的な書きぶりではあるが、時宜にかなった好著である。
■ 書名も内容もなんとも刺激的で挑発的な本だ。岡口基一『最高裁に告ぐ』岩波書店、1836円)の著者はツイッターで率直な発言を繰り返してきた東京高裁判事で、ために上司の長官から懲罰的に最高裁に処分を申し立てられた。裁判官の裁判(分限裁判という)で、最高裁は被告に戒告処分の決定を下した。それに対する決定的な異議申し立てが本書で展開されるのだが、理は明らかに被告の側にある。
裁判所の内幕や裁判官の生態、裁判官における表現の自由、そして監視・批判勢力としてのメディアの現状など、本書から学ぶことは多い。それにしても三権分立などというけれど、司法の惨状は放置が許されぬところへ来ているように思える。自由で民主的な社会の最後の拠りどころは司法にあると考える立場からは、政治と行政に関心を持つだけでは危ないと痛感する。 続きを読む »

読書通信 2019年5月号

■ 書店には平成の総括本が多数並んでいるが、斎藤貴男『平成とは何だったのか』秀和システム、1620円)は一貫して悲憤慷慨している。政治の劣化、格差の拡大、日米関係、原発被害、マスメディア、沖縄問題。まだまだあるが、やるべきことをやらず、やってはいけないことばかりが続いているというのだ。
中でも著者のいちばん言いたいのは、おそらく日本の対米従属ぶりだろう。小泉政権の頃からひどくなった日米構造協議、対日年次改革要望書で日本の富が米国に収奪され続けたと怒りをあらわにする。そして今も日米地位協定と日米合同委員会が厳然として日本を縛っている、と。でも、ここまで言われると平成にもいいところがあったよ、と反論したくなるのは人情ではないか、などと考えてしまった。
■ 世の中、菓子から小物まで令和のロゴがあふれかえっている。「平成はひどい時代だった」と振り返る人もいるけれど、天皇皇后の責任ではもちろんない、どころか、お二人のおかげで救われた人もさぞ多かろう。奥野修司『天皇の憂鬱』新潮新書、864円)は「天皇皇后と戦争」「美智子妃と軽井沢」「生前退位秘録」「天皇家の懐事情」などのテーマをめぐって興味深いエピソードがつづられている。 続きを読む »

読書通信 2019年4月号

■ メガバンクから信金信組まで日本の金融機関の競争力は低下の一途のようだ。財務以上に金融機関としての精神の劣化が懸念される。その典型がスルガ銀行や商工中金で、実態はあきれるほどひどい。ダメな金融機関は融資残高など数字ばかりとろうとして、寒々としたノルマもどきが社内を支配する風土が広がっている。
人気の捨て銀シリーズ第3弾、橋本卓典『捨てられる銀行3 未来の金融』講談社現代新書、928円)は金融庁から末端の支店までジャーナリストならではの綿密な取材が光っている。数字に出ない世界こそ重要だと著者は言うが、確かに飛騨信組、鶴岡信金など共感を呼ぶ経営で成果を上げる実例は心強い。「地域金融マン必読」と帯に書かれているけれど、金融の世界だけの話ではなく多くの組織に役立つだろう。
■ 市職員への暴言で辞任し出直し選挙で信任を得た明石市長が2期8年の苦闘と成果をつづっている。子どもが生き生きとしている街、子育てがしやすい街にするためにはどうするか。泉房穂『子どものまちのつくり方』明石書店、1620円)は自画自賛に陥りかねないところだが、読後感はむしろさわやかである。
子ども医療費の無償化や第2子からの保育料無償化などを所得で線引きせず大多数の中間所得層にも喜ばれるようにしたのは立派だが、実は世間の常識は真逆である。あるいは「本のまち、明石」目指して駅前一等地のビルに図書館と大型書店を並存させ、移動図書館も巡回させるなど著者の永年の夢の実現へひた走る話もいい。わが町もこんな行政をやってほしいとつくづく思ったけれど、いや日本中の自治体が競って学んでほしいと言うべきなのだろう。 続きを読む »

読書通信 2019年3月号

■ 現役政治家だった頃の野中広務には、率直にいってそれほど関心はなかった。こわもての政治家で右寄りだが、戦争の臭いには敏感な人、というのが個人的印象で、それ以上でも以下でもなかった。しかし菊池正史『「影の総理」と呼ばれた男』講談社現代新書、950円)を読んで、見方は一変した。地方政治家としても国会議員としても敵は容赦なくやっつけるが、その敵は永久的ではない。政治状況が変われば敵が友になることは野中にとってなんの矛盾でもない。そんな変幻自在な、しかし軸はぶれない政治家の姿は昨今、希少価値であるだろう。
「あの戦争に生き残り、生かされた私の使命は二度と戦争を起こさせないことだ」。そして「弱者を見捨てない」。この言葉を若い世代に伝えるべく全力を尽くしたのに、戦争を知らぬ政治家たちは集団的自衛権へと突っ走った。著者は日本テレビの政治部デスク。戦後政治史としても切れ味鋭いものがあり大いに勉強になった。良質の政治評論も立派だ。気骨の政治家の一生を描いて政治のありようを問うた力作である。
■ この先も日本企業の国際競争力は低下の一途なのだろうか。経営者か、社員か、組織のあり方か、欠陥はどこにあるのか。と考えていたら、熊野英生『なぜ日本の会社は生産性が低いのか』文春新書、950円)は先進国最低レベルとなった生産性の実態を経済学の基本に帰って解説してくれた。本書を通読すると、ワンオペ化とか長時間労働とか投資抑制とか最近の傾向が必然的に生産性低下を招いていることがわかってきた。人にもっと投資せよ。一見、単純だが的を射た提言である。本書を参考に早く手を打たないといけない。四半期決算ばかり気にせずに。働く上のヒントの数々もいい。 続きを読む »

読書通信 2019年2月号

■ 最近、政治家や官僚の発言がますます軽くいいかげんになっている気がする。国会では野党が、記者会見では記者が、即座には発言の信憑性を追及するだけの材料は持ちえないにしても、少なくともその場で発言内容について念を押し、後日「誤解を招いたとすればお詫びする」とか「記憶違いだった」などと逃げられないように逃げ道をふさいでおくべきだろう。
南彰・望月衣塑子『安倍政治100のファクトチェック』集英社新書、907円)は森友・加計問題、アベノミクス、安全保障、憲法・人権問題などで安倍首相、菅官房長官、佐川理財局長らがどう発言し、そこに虚偽がなかったか検証している。こうしたファクトチェックは極めて重要で、よくぞこれほど出任せが語られるものよと驚かされる。「記憶の限りでは」が乱発されているが、後で「記憶違いだった」ですむのではウソの言い放題ということになりかねない。欧米のように侮辱罪とか罰則規定の適用がもっと厳しくあってしかるべきではないか。
■ 森友学園問題で活躍した元NHK記者によるノンフィクションである相澤冬樹『安倍官邸VS.NHK』文藝春秋、1620円)はとてつもなく面白い。NHKはこの本に対し虚偽が多く放送にかかわる機密を勝手に公表したとして批判したが、その具体的内容についてはその後、明らかにしていないので、内容は99%真実であると断じてよいのだろう。
50代半ばにして「生涯一記者」にこだわる敏腕の著者は大阪地検に食い込み、籠池理事長の信頼も得てスクープを連発するが、官邸に忖度する局長や部長によって記事は改変され番組は放送中止になったりする。取材から出稿、放送までのスリリングな過程が放送メディアの内幕(これも面白い)とともに詳細に語られる。書名の「安倍官邸」はほとんど登場しないが、検察の向こうにじわじわっと浮かび上がる。 続きを読む »

読書通信 2019年1月号

■ 恒例により昨年取り上げた47冊の中からベストテンを。ジャンルが偏らぬようにしたのと面白さを重視した点をお断りしたい(掲載順、〇数字は月号)。森功『悪だくみ』①、中島岳志『保守と立憲』③、ミヌーイ『シリアの秘密図書館』④、旗手啓介『告白』⑤、新井紀子『AI教科書が読めない子どもたち』⑥、新井勝紘『五日市憲法』⑦、福田直子『デジタル・ポピュリズム』⑦、牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』⑧、田中秀征『自民党本流と保守本流』⑨、神野直彦『経済学は悲しみを分かち合うために』⑨。番外として渡辺西賀茂診療所『京都の訪問診療所』⑪は医療介護の現実と理想を、秦新二・成田敦子『フェルメール最後の真実』⑪は想像を超える絵画と企画展の世界を知る。
■ 前著『知ってはいけない―隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)はまさに目から鱗の本だった。続編2は副題に「日本の主権はこうして失われた」とあり、日本の外交や安全保障がアメリカの支配下にあり続ける理由を歴史的に丁寧に分析、解説している。 矢部宏治『知ってはいけない2』講談社現代新書、950円)は、日米関係は安保条約によって規定されているという常識を根底からひっくり返す。日米取り決めは驚くべき密約の数々によって動かされ変更される。著者は丹念に外交文書を掘り起こしていき、その改ざんの跡を提示する。結果として米軍はどんな日米取り決めも守らなくていいことが明らかになる。こんな国は世界にない。本書により、政治家、官僚に最低限のナショナリズムさえ失われている現状を知ることは重要なことであるだろう。決してすらすら読める内容ではないが、このくらい読み通せないでどうする、という気がした。 続きを読む »