読書通信 2011年10月号

①20世紀日本を代表するエコノミストというと高橋亀吉がまず頭に浮かぶ。戦前戦後という長期の活躍と膨大な著作、そして何よりも組織に拠らない特異性という点では、ずば抜けている。『大正昭和財界変動史』『日本近代経済形成史』『日本近代経済発達史』の三部作とともに、高橋亀吉『「私の実践経済学」はいかにして生まれたか』(東洋経済新報社、2940円)も復刻された。高橋経済学形成の半世紀をたどったもので、東洋経済入社までの苦労談から始まり、戦前戦中、そして1970年代までの戦後と、それぞれの時代の経済分析、論争、思いが詳細に語られる。

 政策当局がどのように、なぜ判断を誤り、国家と国民に迷惑をかけたか、亀吉がたとえば変化と変態をどう識別したか、そのためにどのような勉強を重ねたのかなど、自伝であるとともに貴重な日本経済史でもある。亀吉の人生は最初から最後まで烈々たる闘争心によって支えられていたことがよくわかった。その意味で「街の経済学者」という俗称即ち蔑称は亀吉の闘争心を盛り上げるのに効果があったのだろう。湛山の話が予想外に少ないのも、それと無関係ではないのだと思い当たった。そして常に前向き、積極的に物事にかかわったところも亀吉流である。実践的という言葉は亀吉のためにあった。400ページの大部だが、今なお時代を見る目を養う上でも貴重である。

②政界ほどおかしな言葉、名言や迷言が飛び交う世界は少ない。政治家のセンスがいいからか、常識を欠いているからか、よほどヒマなせいか。それらの中には政界以外でも使える汎用的表現も多々あって、数十年の歴史を乗り越えて生き残っているものもある。「一丁目一番地」「得意業で墓穴」「踏み絵」「ねじれ」。大野伴睦の「政治家は落ちればただの人」などはあまりに多用されすぎてまたかと白けるほどだ。
 そんな俗語や隠語、誤用、珍語(?)が居並ぶ貴重な用語集、塩田潮『まるわかり政治語辞典』(平凡社新書、924円)は読み出したら止まらないくらい面白い。吉田内閣から菅内閣までの間、政治はほとんど進歩していないこともわかる。否むしろ、昔のほうがセンスがあったような気さえしてくるのは少々寂しい…。単に面白いだけでなく、政治を理解するうえでも貴重な政治語ノートである。

③地震と津波の歴史に学ぶことはほんとに多い。外川淳『天災と復興の日本史』(東洋経済新報社、1575円)は地震の古代史を前段として、13世紀の永仁鎌倉地震から関東大震災まで13の大地震・津波・噴火を取り上げている。天災の実情とそのときの政治状況、復興をめぐる難題や首尾が手際よく整理されていて参考になる。鎌倉の津波など、一読、今の住民もうかうかしていられないことがよくわかる。富士・浅間・磐梯の噴火を読めば多少は備えをするにしても基本的には大噴火が当分起こらないことを祈るしかないと思えてくる。大地震への備えが多様多重であるべきことは言うに及ばないし、復興の歴史から学ぶことも多い。

④ 「フルベッキ写真」と呼ばれる幕末の志士たちの群像写真がある。龍馬、西郷、岩倉、大久保…それがどうやって撮られ、なぜ抹消されたのか。加治将一『幕末維新の暗号』(祥伝社文庫、上630円、下650円)は明治天皇の隠された来歴と幕末リーダーたちの暗闘を描いたミステリーで、荒唐無稽か真実か、読み出したら止まらないこと請け合いだ。真実を追究する歴史書として読むか、単なるエンタメとして読むかは自由だが、いずれにしても面白さでは一級品である。なぜかメディアからは無視されているが。(玄)